卒業式
卒業式は別れと感謝の式です、だとかはよく言われる。そしていつでも女子高生というのは最強の生物である。
誰よりも先に泣き、誰よりも長く泣いているような生徒だった私は、予行でうるうる来ないように少しヘラヘラしていた。
わたしのクラスは高校3年間持ち上がりで、男の子が 2人 しかいないという特殊な学科だった。
だからパイプ椅子に座ると普通は横一列女子なんだろうが、名前順で座らされると私のような名字が前半の子たちはサイドのクラスのガタイのいい男子に囲まれている。
だが、そこで怯むようなお嬢様たちではなかったので、こそこそ喋ったりしてくすくす言っては、
「 7組うるさい! 」
と朝礼なんかの度に言われていたもので。
そんな私たちが卒業式の予行練習になるとおしとやかに、これまでの学校生活を思い出し、清らかな気持ちで卒業式とその後の生活に思いを馳せる......なんてことはなく。
その日の予行でも安定にふざけていた。
私の後ろの列のMが唐突に
「わたし、クレヨンしんちゃんのモノマネ上手いよ」と言い出した。
もちろん予行の式が進み、祝辞だか祝電披露だか返礼着席、男子は手はこぶしを軽く握り膝の上 みたいなことをやっている最中のこと、
じゃあ、モノマネやってやってとせがまれて(せがまれなくてもやっていただろうが。)
「オラ、のはらしんのすけだぞ〜ぉ!」
Mのモノマネは想像以上に似ていたし、その時と場でのおふざけに、クラスメイトたちは、
「(ふふっ)」
「(プっ、、)」
「(くすくす)」
やりとりを聞いていなかった前の席の子も彼女のモノマネが聞こえて笑う始末。
ジロリと隣のクラスの子に見られるが、ほとんど身内ネタ。知り合いがやるから面白い。
そして、もう少しで卒業して別れることをみんな理解していないのでは、と思うほどのいつも通りのおふざけとひやりとした体育館とパイプ椅子の硬い座り心地。
その現実味のないアンバランスさが余計に滑稽な気がしていた。
しばらくして、クスクスも治まろうとした頃。M仲のいいSちゃんが言う。
「わたし、ボーちゃんの真似なら出来るよ笑」
クスクスクスクスクス
(やって、やって!小声)
懲りない少女たちのおふざけは、いつもなら
「シー💢」と釘を指す委員長が最前列にいて振り返らないのをいいことに止まることを知らない。
「「 ボーー 。」」
ゲラゲラゲラゲラ
すかさず体育の先生に、
「7組!!」と注意されるも、何がそんなに面白いのかこういうときの笑いというのはなかなか止まらず。真面目な顔をしようと肩を震わせていた。
そこでやめときゃいいのに女子高生って怖い。
うしろの誰かが小声で言った。
「じゃあさ、コラボしてみて、一緒に!」
クスクスクスクス
「見たい見たい笑」
クスクスクスクス
よくもまあ、こんなやり取りを予行練習の最中にやっていたものだ。高校生っていうのはそういうものではあるけれど。
するとSちゃんは真面目に
「”ボー” しか言えないからコラボは出来ないよ!会話にならないから!」
と答えるもんだから、また、
クスクスクスクス
なんとなく
そっかぁ〜、見たかったねぇ〜
という雰囲気でみんなの意識がステージに向き始めたとき、
わたしは思いついてしまったのだ。
「会話の答えが “ボー”になればいいんじゃない?!!」
M「どういう意味?」
わたしはMに説明してSちゃんにこう聞くように言った
M「犬も歩けば何に当たるのぉ〜?」
S「 ボ〜〜〜〜〜 」
そのあと吹き出してしまって7組がお咎めを受けたことは容易に想像できること。
女子高生たちのおふざけは始まりも止め時もなく、ましてや体育教官のお叱りの効き目はゼロである。
就活について
いつのまにか就活している。
これまでは進学という進路しかなくて、卒業後に就業するというのはなんだか実感が湧くものではない。
これまでいくつかアルバイトもした。
はじめてのバイトは農協で野菜の仕分けをすることだった。おばちゃんたちに囲まれて野菜の大きさや傷みをチェックしたり、ベルトコンベヤーでの作業をした。朝の8時時前にはチャリで作業場に行き、割烹着にヘルメットみたいな格好で豆を投げたりしていた。時給は760円くらいだった。
学校はアルバイト禁止だったので、高校卒業目前、自由登校時期に働くにはいい隠れ蓑だった。
2度目のバイトはAEON内の和食やさん。オープンしたて、大学生もいて給料が900円だった。根は真面目なので料理を覚えるのも、接客をするのも、楽しんで真剣にやった。だが、なんでもハイとやるのでシフト調整やめんどくさい仕事を押し付けられていた。
「(私)ちゃん、店長にカモやと思われてるで!ちゃんと断らな!」と先輩に言われるまで気づかなかったが、夏休みの間なんかは毎日10時間以上勤務、1時間休憩が続いていた。
そんなことよりも、店長が私を名前で呼んだり、カウンターの向こうから手を振ってきたり、俺のこと好きでしょう?と言ってくることの方が嫌だった。この一方的なスキンシップを他者には見られまいとする狡さを「大人」あるいは「男」だと学んた。最悪だった。
結局、一年半続けていたのに辞めることにした。最後なので、「店長のそういうところ、気持ち悪いので止めた方がいいですよ」と言って制服を返した。別段、すっきりはしなかった。
次のバイト先を決めたわけでもなく急にやめたので親にも、バイトしたら?とは言われていた。そこで、恵方巻きの単発バイトをやってみた。トイレットペーパーみたいな海苔の上に酢飯が乗せられコンベヤーを流れてくる。各人、自分の目の前を通るときに具材を置いていく。私の担当は海鮮のチューブをしぼり続けることだった。力加減が大事なこと、しっかり乗らずコンベヤーを止めてしまうとリーダーのおばちゃん(何人か分からない)がキレるので滞りなく進めることが求められた。
白い作業服は空気でゴミを飛ばし、コロコロをして、アホほど手を洗い、靴の除菌して、髪の毛とマスクのチェックを他者にしてもらう。顔が出てはいるが全員が海女さんをどうにかしたみたいなかんじ。仮に友達と働いていても見分けつかないのだろう。特に意味もないので初日はしていた化粧もやめた。
この派遣のバイトは2月以降も何故か登録しっぱなしにして、お金が入りそうなときに単発でぽんぽん入った。ファミリーマートの工場で、ほかには弁当のある具材をひたすらいれていくとか、サンドイッチの葉っぱをレタスと緑っぽいやつを右手で5g左手3gみたいなちぎってブレンドしてパンに乗せる。という意味不に高度なことを求められた。
派遣なので毎回つくるもの、のせる具、ポジションが違ったから飽きなかった。と母に言うと「だからって7時間も工場立ちっぱなしはありえん」と言われた。ほっとけ、と思ったが、確かにここに就職した人は何でここにしたんだろう、一生工場で働くのか、と思った。それこそ、ほっとけ。だとは思うけど。
次のバイトはパチンコ屋だった。
まったくルールも知らなければ、興味もない。玉をうつときも、ひと玉ずつピンボールのように飛ばすのだと思っていたほどだ。
だが時給がとにかく良かった。親にはカフェで働いている設定だった。丸っきり嘘だとボロが出るので、働いている人の名前はそのまま、実在するカフェ、メニューを話題に出してあたかも働いていることにしていた。
というのも、バイトを隠すには、収入や休日の予定をごまかせず、かと言ってパチンコ屋で働くなど勘当モノだからだ。でも、そこまでしてパチンコ屋で働こうと思ったのは、親への反抗でもあった。
そもそも、お酒を出す店(キャバということではなく、居酒屋なども)は禁止だった。
パチ屋で働くなど、発狂してその日のうちに実家に連れ戻されると思った。が、実際のところ面接を受けに行くときからスリルを感じていた。
最初は清掃やタバコのおつかいから始まり、そのうち鍵をもたされて台の玉づまりを直す業務を教えてもらった。その台がどういう状況かによって対応が違ったのだが、私からするとどれが大当たり、時短、確定なのかてんで検討がつかなかった。
そこで、休みの日にはパチンコを打ちに行った。バイト先に打ちにいくのは禁止だったので学校から遠いところで教わったルールを試した。何も面白くなかった。
それから先は、バイト先にくるお客さんをどこか冷めた目で見てしまっていた。毎日来てる人、決まった台で打つ人、海が好きな人、メビウスライトのおじさん、景品はお菓子の人、マンゴーラテ飲んでる人、、。
適度にセクハラもされたし、店内も休憩室もタバコのにおいやし、制服が丈が短くてコスプレみたいやし、ハロウィンやクリスマスには頭になんかつけてヘラヘラしないといけなかった。
でも、時給がいいからいっか と思えた。
部活で部長をしていたり、試験や検定が多くて結局やめてしまった。
パチンコ屋に入ることはもう一生ない。
今は、中華料理屋でバイトしている。くっそ忙しい店だ。
200席近くあって、正月なんか皿やカートが飛んで見えた。出勤3日目が元日だったのだが、わけが分からないほど忙しすぎて恐くて泣いた。まじで。
料理を待っていたり、ホールをただ徘徊する時間などない。常に手か足が動き、時に右手と左手は違うことをしている、そんな感じ。まじで。
まだ2ヶ月くらいだけど、だんだんと仕事を教えてもらっているところ。心から思うのは「一緒に働く人が良いと仕事がしんどくても全然やっていける」ってこと。
ひとりで働いている感じはしないし、冗談を言ったり、仕事を任せられる と感じられる環境はなかなかレアだと思う。
いつのまにか就活が始まって、面白そうな企業を見つけたりするけど、実際のところ働いてみないと分からないし、働いてからやっぱ嫌だとは言えない。
世の中舐めているつもりは決してないのだが、ぶっちゃけ仕事だと割り切ればどんな仕事でも大概できると思う。工場勤務も接客もデスクワークも一日中運転することも、さして苦ではない。
能力的に出来ないことはあるだろうが、やっても無いことを出来ないとは言い切れない。
ただ、自分の決めたことだけは自分でやれると思うし、やらないといけない。投げだすなんてありえない。
仕事の大変さはそういう次元のことでは無いんだろうし、そういうのを解消するのは仕事を終わらせることでも、職場の人との飲み会でもない。
きっと、友達と休みの日に会い、映画をみて、小旅行に行き、興味がある美術展やコンサートに行ったり、スポーツ観戦やライブに行くこと。
そういう時間は今よりずっと少なくなっても無くなったら嫌なもの。
私は何がしたくて何がしたくないんだかもうわからなくなってきたけど、卒業後の進路に私はわくわくしていたい。